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1996年のある日、私は内側からのとても強い促しを感じました。
それは、「人間の持つ限りない可能性と、その存在自体を讃える人間讃歌が、いずれ必要になる。」というものでした。そんな大きなテーマの歌が私に作れるだろうかと、一瞬戸惑いましたが、「もしこれが本当に必要とされるものなら、きっとできる時にできるだろう。」と、しばらく忘れることにしました。
次の年の春、友人から紹介された女性と夕食を共にする機会がありました。彼女はこれからネイティブアメリカンのメディスンマンの元へ嫁ぐという方で、彼らの祈りや儀式、歴史などについていろいろお話を聞かせていただきました。その帰り道、心の中であるメロディが鳴りはじめました。急いで家に帰ると、さっそくピアノに向かい、そのフレーズを繰り返し弾き、録音しました。その時にはこれが何のためのメロディなのか私にはわかりませんでしたが、気が付くとそれを口ずさんでいる自分がいました。
それからしばらくして、私は東京を離れます。どの窓からも富士山の見える家に引っ越している夢を見たことが直接のきっかけでした。
当時の私は、仕事もそれなりにうまく行っていて、好きなときに海外旅行に行く時間を作ることもでき、優雅な独身生活という感じでしたが、同時にゆっくりと自分を見つめなおしたいという思いも強く、突然の決断に驚く友人達は大勢いましたが、自分では新しい環境に入ることにそれほど抵抗はありませんでした。しかし、すぐに思い悩むことになります。
27歳の頃から「本当に自分が唄うべき歌は何なのか?」と考え始め、その疑問は、そのまま「自分は何のために生まれてきたのか?」という、誰でも一度は真剣に思いをめぐらす疑問に変わり、自分探しの旅が始まりました。
いろんな人にめぐり合い、その時々に必要な教えを受け、いろんな体験をしながら、 自分なりの答えを見つけ、もう何が来ても大丈夫なはずだったのですが、180度違う環境の中で湧き上がる思いは、「自分はもう世間に必要とされていないのではないか?」という不安。東京を離れ、仕事のオファーも半分以下に減り、知らないうちに身に着いた、他人の評価で自分を計る癖がまだ取れていないことに気が付いたときには、愕然としました。
そんなある日、なにげなくベランダに出ると、そこにはいつもと変わらず美しい富士山。空は透明に青く、新緑からもっと深い緑に変わろうとする木々の葉を揺らす気持ちのいい風。枝が優雅に踊ると、その波は新しい揺らぎを生み、隣の枝へとスローモーションで伝わっていきます。全てが調和した、どこが始まりでどこが終わりも無い、延々と続くゆったりとしたゆらぎが、3D画面のように展開していました。
「そうか、木は自分で踊ろうとしていない。吹く風にまかせ、太陽の光を受け、ただ自分のままそこにあるだけ。私は一体何を悩んでいたんだろう。」
富士山の麓に引っ越して3ヶ月が過ぎた頃、ようやく私の新しい人生が始まりました。
それからは、まるで子供にもどったように、見るもの聞くものすべてが新鮮でした。
ある日の午後、気分良くお風呂に入っていると、すらすらと言葉が浮かび、しかも例のメロディに乗っかっています。あわてて書き留めてピアノに向かいました。
「君の中に神様はある。」から始まったその唄を、私は何度も何度も繰り返し唄いました。とてもしあわせでした。
97年8月、こうやって「ふつうの唄」は誕生したのです
(山根麻以)
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